Contents

interview

&Greenスペシャルインタビュー#16 経営者・アーティスト 遠山正道

&Greenスペシャルインタビュー#16 経営者・アーティスト 遠山正道

小さな植物がもたらす大きなチカラ。

-----------------
遠山正道 プロフィール
東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、三菱商事株式会社を経て、現在は株式会社スマイルズおよび株式会社スープストックトーキョーで代表、The Chain MuseumでCEOを務める。学生時代から絵を描くのが趣味で、現代アーティストとしての一面も。自らグラデーションのある生き方、働き方をすることで、複数のコミュニティを持った生き方を大切にしている。ほか活動として、「新種のimmigrations」では有志者によるコミュニティ活動を行い、YouTubeチャンネル「新種の老人」では遠山さん企画・編集・楽曲制作などを自ら行いオリジナル映像を配信している。
Instagram @masatoyama
YouTube 新種の老人 - 遠山正道
-----------------

大きな自然としての北軽井沢の植物。

今年私は61歳ですが、この歳でも怖いものは怖いんだなと。

私は、週末に通っている北軽井沢の家があって、行くと音楽やライトなしで、卓上のランプと暖炉だけで静かに過ごしています。そこでは栗の木があって、屋根の上にボッコーンと大きな音を立てて栗が落ちたり、朝には鳥が賑やかに会話するように鳴き出したりと、まさに自然や生き物を感じながら生活しています。周辺の自然は荒涼としていて、夕方以後はすぐに暗くなるので、急に心細くなります。夜には耳をじっとすましたり、なんかこう首の後ろが気になったりと、都会のど真ん中では味わえない感覚がそこにはある。子供の頃は、暗闇がやたらと怖かったじゃない? 完全にその状態。じゃあ、何が怖いのかと考えるとなんとなくなんだけど、動物や植物の気配なんじゃないかなと。そう考えると自分も動物だし…と。電気をつけて音楽をかけたら、その恐怖も解消しちゃうけど、もったいないから、布団を頭からかぶったりして、怖がりつつも楽しんでいる(笑)。

その家の庭に今年植栽をお願いしました。頼んだのは「Veig」という25歳の二人組の庭づくりを行うユニットで、彼らの初仕事がうちの庭。で、庭には55種類の草木を植えたと。でも出来上がった庭を見ても、ほとんど変わっていない。それで2人に案内してもらいながら歩いたら、「遠山さん、もう6つすぎましたね」と。コシアブラやリンゴの木、足元にあったハッカやアシタバなどを気づかず通り過ぎていた。草木がまるで最初からそこにあったかのような自然な形で存在している。他にもわざと水はけを悪くして作った水溜りがあるんだけど、イノシシなどの動物が水浴びとかするといいよねと。私がホモサピエンスの一人として、その庭にどう絡んでいくのかというのがVeigの二人の考えです。私が歩くのに邪魔であれば木の枝を切ったり、実に気づいてつまんで食べたりとか、そういうコミュニケーションが起こるといいよねと。

僕は100歳まで仕事して、105歳くらいで死ぬ予定なんだけど、その残り40年で若い彼らとコミュニケーションを取り続けていくつもりです。Veigとのコミュニケーションの間にある、庭の植物がこれから40年かけてますます豊かになっていくというイメージが思い浮かぶ。そんな関係性を、庭を介して気づきました。

机を一掃できる植物のチカラ。

一方、都会の中の小さな植物にだって大きな力があります。

私は、ビジネスでも植物と関わっています。DAISHIZEN代表取締役の齊藤太一氏とPARTYの代表取締役伊藤直樹氏とともに「KADOWSAN」というビジネスを行っています。不動産ならぬ「可動産」は、空間にはアートと植物と家具さえあれば、空間は成立するというのがコンセプトです。オフィス、商業、住宅を問わず空間におけるその三種の神器をビジネスとしてレンタルします。内装費に何千万円もかけて償却するよりもレンタルの方が合理的だし、オフィスの移転や規模縮小も当たり前のこの時代では、移動時も負担が少ない。オフィスに植物があれば、癒されるだけでなく、衝立代わりとして置いておくだけで、心理的な壁として作業や会議に集中しやすくなりますよね。

今の自宅の私の机の上には、小さな植物が飾ってあります。コロナが発生する前は、机の上は書類の山積みだったけど、ステイホームを機に一掃して、小さな植物を適当な容器に入れて飾るようになりました。その植物を見てお茶を飲んだりと、期せずして、足元にあった幸せに気づきました。植物には、山積みの書類をどかす力が備わっているんだなと(笑)。

コロナをきっかけに気づいた人も多いでしょうが、やはり仕事というのはすごく大きな塊で、生活も人生も飲み込まれちゃいがちですよね。でも、仕事は自分の人生の一部分に過ぎないし、会社はそのまた一部分のはず。コロナ禍のZoom越しの朝礼で社員のみんなに「自分の人生は自分でちゃんと設計してね。間違っても会社に依存しないでね」と言いました。当たり前だけど、自分の人生の主役は自分でしかないから、自分でちゃんと歩まなきゃいけない。そういう時に、植物は人が歩く歩調をちゃんと人のサイズにさせてくれる存在かもしれません。

それまでは、どうしても大きな経済やビジネスという塊としての大きな流れがあって、その流れに無自覚に一緒くたになって運ばれてきていたけど、生えている草花に気づくと、なんだかすでに豊かな気分がしてきました。それは植物の大小に関係なく。むしろ「&Green」の植物くらいの手元や机の上に置くくらいのサイズの方が変化も感じやすいし、自分がちゃんとしないと植物をダメにしてしまう気もするので、注意深く観察するようになりますよね。

欠けたお皿を生かす「&Green」。

遠山さんが手に取る&Greenはこちらから

私は現代アーティストとしても活動しているけど、アート作品と鑑賞者は50:50でいたい…いやそうあってほしいと常々思っています。作品を作って完結ではなく、鑑賞者が観ることで初めて作品が生きてくるという気がしています。例えば夕日を10人の人が見て、昔を思い出したり、悲しい気持ちになったり、勇気が出たり、美しいと感じたり、それぞれの見方や感じ方がある。でも夕日はただそこにあるだけで、むしろ鑑賞者側が夕日を作品化している。感情というコミュニケーションが生まれて、夕日が作品として初めて立ち上がってくるわけです。

同じように、植物もどこにでもあって、気が付かなければただ通り過ぎていくもの。でも、ひと度立ち止まってその50:50の関係のように、何かしらの関係性を持つと急にこの植物が生きてくる。桜はまさにその象徴で、木からすればただ年に一度花を咲かせているだけなのに、我々鑑賞者がそこに意味を与えて、コンテクストを作って、毎年新たな希望を桜に重ねていく。切り取られた植物でもいいし、どこかに生えている樹木でも構わないから、そんなフラットな関係を植物と持てると楽しくなるのかなと。

「&Green」の植物をどう楽しむかという点では、土がないから様々な使い方をイメージできる。例えば土がなくて軽いから持ち運びできちゃう。以前、登山家の方と山に登った時に、彼は小さなロックグラスを割れないように大切に包んで、わざわざ携行していました。山の上でウイスキーを飲むためです。その姿を見てすごくいいなと。例えば、バックパッカーがこんな小さな植物と一緒に旅をして、雑魚寝するドミトリールームで枕元にポンと植物を置くと、なんだか豊かな人という感じがします。

あとは器を自由に使えるのも素敵です。私は欠けたお皿を使いたいなと。気に入ったお皿が欠けてしまうと、捨てるのももったいないということで、何かの時に使えるように置いておくけど、なかなか出番がない。でも「&Green」の植物によって、そんなお皿に出番を与えて、生かすことができる。そうそう、「スープストックトーキョー」の使い終わったスープカップを使ってもいいかもしれない(笑)。

おすすめの記事

&Greenスペシャルインタビュー#24 エッセンシャルオイルブランド「Licca」 長壁ご夫妻
interview
&Greenスペシャルインタビュー#24 エッセンシャルオイルブランド「Licca」 長壁ご夫妻
[Special Talk] 「おはよう」も「おやすみ」も心地良くなる植物と眠り
Interview
[Special Talk] 「おはよう」も「おやすみ」も心地良くなる植物と眠り
&Greenスペシャルインタビュー#23 クリエイティブディレクター 木本梨絵
interview
&Greenスペシャルインタビュー#23 クリエイティブディレクター 木本梨絵